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クールジャパンのかけら


1964Tokyo

 学生時代は自炊していたため、料理はできる方だと思っていた。しかし、技術は一旦現場を離れ、時が経つと当然錆び付く。日本を離れ約2年が経ち、旅の中盤を迎えたトルコのカッパドキアで久々に自炊しようと思った。西へ向かうに従い物価が高くなり、外食もそうできなくなる。今のうちから自炊する習慣を付けておこうと思ったからだ。
 最近の大学生は素直だ。当時一緒にトルコを回っていた大学生のバックパッカーは一口食べるなり即「不味い」と言ってくれました。その回答の早いのなんのって。
 これではいかんと思い、すぐに首都・イスタンブールに移動し、当時日本人旅行者がよく利用するという安宿「コンヤ・ペンション」にチェックインし、早速日本人のお姉さんに料理を教わった。忘れていた事も多く、自分でも材料をいじっているうちに段々と感覚を取り戻して来た。
 それが実際に花開いたのはスペインだ。スペインでの週末と言えばフィエスタだ。友人たちが手料理や酒をそれぞれ持ち寄り、誰かの家でパーティーを開く。当時僕はスペイン語がままならないため、なんとか会話の潤滑油になればと思い日本料理をしばしば持参した。


Teema

 「これは、あの悟空(ドラゴンボール)が食べていた、アレか?」
 あるスペイン人が興奮気味におにぎりを指差していた。
 「そうだよ。そのまま手づかみでがぶりと食べてみて。」
 彼は憧れのアレ(おにぎり)をついに食べる事ができたようだ。それから満面の笑みで、「うまいよ、すごいよ、君は料理が上手だな。」
 ちょっと違う気もするが、クールジャパンのお陰と言うか、とにかく嬉しかったです。

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アウトバーン


つりばな

 旅行者にとって旅先でコテコテなものを見れるというのはありがたいことだ。インド人がターバン巻いて両手を合わせナマステなんて挨拶したりすると嬉しくなってしまう。



 ヒッチハイクで無事ウィーン(オーストリア)を通過し、いよいよドイツに入国することになった。国境付近でドイツ方面に向かう車にのせてもらった。今回お世話になる彼は身なりもしっかりしていて、何となく安心してしまった。40~50歳くらいのドイツ人男性。職業は医者。
 なんだかんだ言ってもヒッチハイクは見ず知らずの人の車に乗せてもらって旅をするもの。危険とは隣り合わせだ。出発前にはヒッチハイクにまつわる犯罪や事故の話も聞いていた。そこいくと彼は安心できた。

黄色い花

 基本的に長距離移動のドライバーの退屈しのぎで拾われることの多いヒッチハイカーは車では眠れない。運転手の話し相手となって車内を盛り上げ、なるべく遠くまで運んでもらうのだ。しかし野宿で熟睡できなかったことと、おっとりとした彼に安心したことで、眠くてしようがない。
 「僕もウィーンから出発したんだ」「…ウィーンはよく行くのですか?」「今回は彼女と分かれるためウィーンに行ったんだ」「彼女はウィーンに住んでたんですか?」「僕は失恋したんだ…」「…」
 これ以上つっこむのもどうかと思い、窓の外を眺めていたら、突然BGMが変わった。ジャーマンメタルの雄「Helloween」だ。「わー、やっぱりドイツ人はジャーマンメタルが好きなんだ!」と、こてこてのドイツ人に出会った喜びで運転主席を振り向いた。遠くを見つめてハンドルを握る彼の顔は興奮し赤く火照っていた。ちらっと速度メーターを見ると針は見たことのない角度をさしていた。ここはアウトバーン。何となく音を立てずにシートベルトをはめた。早すぎて浮いてたよね。



硬い寝床


蜂

 衣替えもほぼ終わり、布団も厚手のものに変えた。風呂上りにお茶を飲んだ後、布団にもぐり込むと幸せだ。ヨーロッパを旅行していた時に誰かが「ベッドは世界で一番平和な場所」と言っていたが、そうかもしれない。またそうでない人たちにも早くそうなるよう祈りたい。


タワー

 アジアに比べあまりにもうまくいきすぎるヨーロッパの旅は退屈だった。といっても電車が時刻通りに到着したり、値札が付いている商品をもめずに買えるというのは日本やヨーロッパからしたら当り前のことだが、アジアからしたら異常(言い過ぎかもしれない)だ。その異常に慣れてしまい、すっかり刺激の無くなった旅に活を入れようとブダペストからはパリに向かってヒッチハイクをした。
 当然ながらすんなりA地点からB地点にたどり着けるわけでもなく、田圃のあぜ道や高速の途中で降ろされ野宿する羽目になることはしばしばあった。それでも心の奥で何かが燃え始めているようで楽しかった。
 「浮浪者は3日間やったら止められない、旅を続けたいなら3日間でやめろ」というのが僕のヒッチハイクの先生の言葉だ。
 「大丈夫だって」と高をくくっていたが、3日目の朝から異変は起こった。
 最初は緊張して、うつむきがちだったが、だんだんと慣れてきて、急に視界が広がるようになる。地べたからの視界だ。普段見ることのできないアングルから見ると通行人や建物、街の様々なことが違って見えたり、何かがわかったような気になる。周りからは石ころのようにしか見られないため、自分の存在が段々と透明になっていく。時間も止まったようだ。プライべートな境界が希薄になり、町そのものが居間のように心地よくなる。夜、硬い地面に寝そべり暗闇を見つめるとどんどん奥に入っていくようだ。たくさんの何かが細かくうごめいている。何かがずるずると僕の体を引っ張るのだ。
 「ハッ」として目を覚ますと4日目の朝だった。眠い。もっとここで眠ることはできる。だが何かが僕を駆り立てて逃げるようにその仮のねぐらを去った。
 本当は芸術の都・パリまでヒッチハイクで突き進み、カッコよく入場したかった。だが、間際でそれはできなかった。それでよかったのか、あるいは負けだったのか。僕は電車に乗り込み、進行方向であるパリに背を向けて座った。なぜか涙が出た。



よこしま

よこしま

 ブダペストハンガリー)の野外ライブ以来Pat Metheny(パットメセニー)のファンになった。
 春風爽やかな森の奥にある野外会場に、三々五々リスナーがやってくる。夕暮れ前の七色の空の下、彼の演奏が始まった。とても気持ちのよいライブだった。
 今日おろしたボーダーのTシャツに袖を通しながら思い出した。パットメセニーもライブの時は決まってボーダーのシャツだ。
 今までTシャツは無地ばかりだったが、今回久しぶりに新しいラインナップが増えた。
 友人の一人に、これまたボーダーばかり着ているものがいる。彼は「よこしまな考え」からボーダーを選んでいると真顔で教えてくれた。
 なんにしろ、こだわりってのは人生の楽しみのひとつだ。




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