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ノスタルジック・アート

不感温泉

不感温泉

 一度入ると出るに出られない恐ろしい温泉だ。温度は人肌より若干低めに設定されている。熱くもなく、冷たくもない文字通り温度不感の温泉だ。その不思議な感覚たるや言いようもない。
 そもそも長湯する癖があり、他の熱い温泉で身体はすっかり火照っていた。しかしこの不感温泉に暫く浸かっていると、湯に浸かっているにも関わらず、徐々に火照りは引いていく。また温度を感じないので、そのままいつまでも入っていられる。羊水の中にいるというか、心地よい春風の中にいるというか、とにかく不思議なリラクゼーション効果があった。結局今回訪れたスーパー銭湯では一番長く浸かっていたんじゃないだろうか。


言葉にできない感覚も創ることが出来るのか

 折しも、その日は春一番が吹き、町は春の匂いとともに心地よい空気に包まれていた。熱くもなく、寒くもない。丁度良いことはとても気持ちが良い。
 不感温泉はある種のノスタルジーを人工的に作り出すアートな作品でもあるような気がした。


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カート・コバーンと話す時

カート・コバーンが死んだ翌年

カート・コバーンが死んだ翌年

 カート・コバーン(※1)が死んだ翌年、僕は大学に入った。
 当時、追悼特集の番組で見た彼のフリースタイルなライブに衝撃を受けた。思うがままに言葉に出来ない何かをライブで表現すること。僕がそれまで聴いていた音楽とは違って映った。彼の音楽に軽くて、自由な清々しさを想い描いた。


実際にやってみるとなんか違う

 その憧れを抱いたまま大学の音楽系サークルに参加し、早速バンドを組むがすぐに分かった。当然だが、自分はカート・コバーンではないと。
 叫ぶことも、枯れた声を出すことも、魂が喉から出るような歌も自分には出来ないことが分かった。それでも今の自分には音楽を止めることは出来ない。何とか思い描いていたものに近づくために、アプローチを変えてみた。


(※1)カート・コバーン(Kurt Cobain/1967-1994)。1990年代を代表するワシントン州シアトルの伝説的グランジ/オルタナティブ・ロックバンド、ニルヴァーナ (Nirvana) でボーカルとリードギターを担当


制限から生まれた可能性

制限から生まれた可能性

 まずディストーション(※2)を捨てた。当時ロックな音楽をやっている者なら誰もがメインのエフェクターとして必ず使用していたものだ。
 それを取っ払ったらアンプとギターとそれらをつなぐシールドだけになり、ずいぶんさっぱりした。しかしあれこれ音色を作る必要がなくなり、クリーントーン(※3)1種類のみ集中して作ることができ、結果効率も上がった。
 次の課題はクリーントーンのみでどうやってロックをやるか。ジャカジャカやるか、アルペジオ奏法しかなかった。これも限られた技術だけとなったので、集中できた。
 まだある。次の課題は歌だ。どうやって歌を表現するか。
 決断したのは「裏声」だった。
 すると作曲の際、音域の制限がなくなるという好都合なことが起きた。それからは随所に裏声を混ぜて、広いレンジの曲作りが出来た。


カート・コバーンと話す時

 僕がカート・コバーンと見つめ合う時、ロックとか音楽とかは思い浮かばない。
 それよりも「自分で方法を見つけて、それを行うこと」「制限を制限とするか、可能性とするかは自分次第」ということを彼が語っているように感じる。

(※2)ディストーション。エレキギターで使われる歪みを発生させるエフェクター(ギターとアンプの間に繋げて音色を加工する装置)の一種類、またはそのような歪みを指す。


(※3)クリーントーン。ひずんだ音質「ディストーション」に対して言われる音質を指す。



注釈文のあるエントリーデザイン

注釈文のあるエントリーデザイン

本文とは関係ないが、
写真に対するキャプションのサンプルとして。

 今回は注釈文(※1)を挿入した場合のレイアウトの紹介。
 最近何冊か立て続けに本を読む機会ががあった。場合によっては図書館で調べ者をしたりと、リンクという概念から離れた、情報収集をした。その際気付いたことを表現してみようと思う。
 なるべくなら複数の資料をあちこち開かずに調べ進めたいものだが、そういった注釈が必要なものに関しては大抵本文の下部、或はサイドに注釈文があり、読むリズムを崩さず、どんどん読み進めることが出来た。


(※1)注釈文。このようにサイドにて単語などの補足説明を表示する。


便利な反面、離脱も多い

 Webコンテンツで便利なのがハイパーテキストリンク(※2)だ。説明が必要な単語や、引用元のページ、関連情報など様々なリンク本文中に設定されている。もし詳細情報が知りたい場合は一旦リンクを参照して該当する情報を得てから、再び元のページに戻り、本文を読み進めて行く。便利な反面、これがあまりにも多いとうっとおしい。新規のウィンドウで開いたとしても、場合によってはそのままどんどん別のサイトに流れて行ってしまう。これもWebの面白さのひとつなのだが、ある程度ページの離脱を防ぎつつ、説明のいる単語などに関しては注釈文でカバーし、読み進めてもらう場合は有効かと思う。

(※2)ハイパーテキストリンク。テキスト間を結びつける参照のこと


注釈文のあるエントリーデザイン

 コンテンツの右側に罫線を引き、小さいサイズの注釈文(※3)を表示させる。こうすると注釈あるのリンク先のページへの離脱もない。ただし、スペースの関係上、説明の多いものは表示したところで読みにくいかと思われるので、その場合は通常通りリンクを設定し、極少量のものに限られる。

(※3)小さい文字サイズで注釈文を入れる。



オン・アンド・オフ

地面のエネルギーを感じて

地面のエネルギーを感じて

 以前「TRamiKa」というアートグループを組んでいた。作品中身体を使うことが多く、今まで舞踏やダンスなどの経験がない者にとっては早い段階で表現に限界が出てきた。
 そこで、プロの方から何かを学ぼうと「Baby-Q」主催の東野さんのレッスンに参加した。
 「地面のエネルギーを感じて」と言われた。最初は変だなと思った。第一、地面は常にそこにある不動のものであり、動的なパワーはそれ自体にはなく、バウンドも人間の肢体運動とバネから生まれるもので、地面自体は触媒的な役割でしかないと思っていたからだ。
 レッスンを重ねるうちに地面を踏むという行為に少しづつ耳を傾けるようになった。踏み込んだときの感触、体重のかかり方、音、すべてを丁寧に、慎重に。


ランニングで膝を痛める

ランニングで膝を痛める

 まだそんなに続いている訳でもないので、習慣とまでは言わないが、ランニングをするようにしています。
 以前はただがむしゃらに身体をいじめるようなトレーニングをしてきたが、年齢を重ねるうちにやはり身体を痛めることがある。特にランニングでは膝を痛め、一時はびっこを引きながら歩くこともあった。
 最近では情報収集する知恵も付いてきたので、そういうこともなくなったが、一番気を付けていることは走りながら「地面のエネルギーを感じる」ことだ。
 元々は膝を痛めないようにと恐る恐る走っていたのだが、次第に体重の逃がし方や負担のかからない踏み込みなどを頭で考えながら走るようになる。すると地面が身体に何か作用するような錯覚を覚えるときがある。
 足の裏と地面がタッチしながら弾みを付け、もう一歩、もう一歩とゴールへ導くように。


オン・アンド・オフ

 といってもしばらくするとそのことも忘れ、ただ単にぜーぜー言ってる状態にもなる。そういう時、再び姿勢を直し、意識をはっきりさせ、地面との対話を再開させるようにする。体力の関係もあるが、やがてこの「オン・アンド・オフ」を繰り返しながらどうにかゴールに辿り着く。
 まだ何かとリンクしたという自覚はないが、この「オン・アンド・オフ」の訓練は様々なことに活かせるような気がしてならない。身体と精神が接触し、それが環境と作用してゴールへ向かうというのはとても健康的なアクションのように思えるからだ。



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