• Go to Menu
  • RSS

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

星降るフンザの夜


いざ、西へ!

いざ、西へ!

 インド観光ビザ(6ヶ月間有効)も残り少なくなり、この1年弱慣れ親しんで来たインドとも本当に別れなければならない時が近づいて来た。大沢たかお主演の「劇的深夜特急」の台詞ではないが、本当にここが旅の終着点なのか?本当にこれで旅を終えていいのか随分悩んだ。西へ向かうとそれこそヨーロッパまで続くこのユーラシア大陸の旅が続き、東へ向かうことは飛行機に乗ってタイ経由で日本帰国を意味していた。
 当時、すんなり西へ進む決心ができなかった大きな理由は「怖かった」からだ。インドから西へ向かうという事はこれからしばらくはイスラム圏に入るということだ。「9.11」事件直後の微妙な時期に何かと話題に上がっているイスラム圏を浮かれ気分で旅するには無謀な気がしたし、ましてや旅を楽しめないのではと思った。散々自問自答の寝苦しい夜を乗り越えて、結局いろいろ覚悟してパキスタンに入国した。



オフシーズンのパキスタン

 案の定、旅行者はほとんどおらず、最終的に2、3ヶ月間のパキスタン滞在で外国人(日本人を含む)は9人だだった。
 それでも何とか自分を奮い立たせ、旅を楽しもうと「カラコルムハイウェイ」を渡る事にした。「風の谷のナウシカ」の舞台モデルとしての噂が名高いフンザというヒマヤラに近い渓谷の小さな村でお正月を過ごすのだ。

 「なんで今来たの?」村に到着してから村人に言われた第一声だ。確かに冬のフンザは閑散としていた。有名な杏子の木は落葉が終わり、緑は枯れ、シーズンオフのため店もほとんど閉店していた。村人も冬眠を始めるかのように静かに暮らしていた。完全なるシーズンオフだ。着いた早々言うのもなんだが、本当にガッカリした。


村人と遊ぶ日々

村人と遊ぶ日々

 そのシーズンオフのお陰か、暇を持て余している村人がちょくちょく遊びに来たり、また遊びに連れて行ったりしてくれた。春には日本人だけでも数百人という旅行者が来るこの村で、今は僕を含めて2人しか居ないのだ。それは手厚いもてなしを受けた。
 収穫も終わりフレッシュでは食べれることが出来なかったが、干し杏子が僕のおやつだった。夕食にはその干し杏子と小麦を材料としたほの甘いスープも出た。これは素朴で本当にうまかった。お土産にくれた「アプリコットオイル」も香り高くほの甘い。肌につけるといいと言われたので、僕の顔大抵ベトベトしていた。大晦日の夕方にはこそこそと密造酒のフンザワインを買いに行った。これもほの甘くてすいすい飲んでしまった。
 オフシーズンと、アフガン戦争の影響で世界は本当に暗くて寂しい感じがした。だがそれを払いのけるように僕らは遊びまくって、喰いまくった。


放送日

 ある日、いつもとは違う雰囲気で村人が迎えに来た。テレビのある食堂にみんなが集まるらしい。食堂に集まっていた村人はいつもよりも更に重~い雰囲気でテレビを見つめている。やがて当時の大統領・ムシャラフが出て来て長~いスピーチを始めた。「しっかり聞いておくんだ」そう言われても何語で話しているのか分からないので、スピーチに耳を傾ける振りをして、大人しくみんなの顔色を伺っていた。
 「これは極めて重要な放送で、最悪の場合、我々はインドと戦争をするかもしれない」村人がぽつりと教えてくれた。「印パ紛争」だ。それからどれくらいそこに居ただろうか。針のむしろだ。村人が一喜一憂するたびに「何?何て言った?教えて!」と子供のように騒いだ。
 結局、戦争はしないと言う事でみんな胸を撫で下ろし暖かいお茶を飲んで帰宅した。
 僕は戦後生まれなので戦争体験はない。しかしその日、ほんの小さな一部を体験したような気がした。星が綺麗なフンザの静かな夜がまた訪れたが、震えて眠れなかった。とりあえずフンザワインの残りを飲んで寝床に入った。
 翌日、いつもと変わらない朝が来て、いつもの村人が迎えに来た。本当に平和な日々に感謝した。


コメントの投稿

※承認制のため、即時には反映されません。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。